words,

人間が言葉を発するのではなく、
人間が言葉に語られているのだ。

言語化されることによって初めて認知の枠の中に収まる、という意識。
私にとっての言語の意味はそこにあって、だから面白い。

「私」という存在が言語に規定されるのではなく、
「私以外のもの」から言語によって「私」が切り取られる。
全ては大きな一つのものであり、そこから差異を認知し、分割し、
結果として新たな認識が生じる。

だからこそ、文化が、言葉が違えば、見えるものも異なるのではないか。

そう考えると、言葉を尽くすことの重要性が高まる。


ああ、そういやあこんなことがやりたくて、
言葉の教育とか、やりたくて、
進学したんだっけなあ。

いつか。

うおぉ

エヴァ劇場版『破』、

面白かった――――!!!

公開初日に見に行くことになるとは…

ま、お昼おごってもらえたし(*´_ゝ`)

あーあーあー

論文の資料となる書籍を10冊ばかり担いで歩いていたら、思い切り首の筋を傷めてしまった。
PCの前に座っても全く集中出来ない。
本とモニターを往復する首の動きにすら違和感を禁じ得ない。

そもそも私ごときがやってみようと思う分析は既に恩師の手で行われてしまっている。
ここでの教授の助言は、全て教授自身の興味に依ったものであって、私の手にはそもそも収まりがつかない。
アイデンティティて、何だよ。
非対称性を論証するためには、数値が分かりやすいかと思うが、それだけでは学部レベルだ。
談話分析、それもCDAの見地からばっさりやりたいが、日本語学の知識にも乏しいのでは説得力に欠ける。
無論、そのために背負ってきた資料だ。読み込むしかないのだ。

不安というか、やるしかないというか、お先真っ暗というか。
新しいことに取りかからんとする時にかかる期待が重苦しい。

たまには思考をフレーム化。

言語化するということは、事象に輪郭を与えることだと考える。
そういう観点から、私は言霊であるとかいった、言葉の力を信じている。
語用論とか、ポライトネスといったものに関る『言外の力』という意味に近いかも知れない。

しかし、抽象的であったり、ぐにゃぐにゃとはっきりしないモノを理解することは難しい。
そういった事象に言語によって形を与えることで、自分の中の引き出しのいずこに落とし込むべきか判断できるようになる。
このように、カテゴライズし、メンタル内部において適切な箇所にしまうという過程が「理解」だと捉えている。
よって、言語化は事象への理解に重要である。
これは感覚的な事象についても同様で、感情などを適切に言語化することで、自他の相互理解を導くものとなる。
無論ずれはあれど、なるべく正確・子細に互いの考えを形にしようとする努力がいわゆる「思い遣り」と呼ばれるのだと考えられる。

そう仮定した時、昨今の語彙不足に危険を覚える。
事象は複雑であり、いくら言葉を尽くせども完璧に言語化することは難しい。
その中にあってさらに単純な言語でしか有形化出来ないとなると、事象と発生した形のずれが大きく、由々しきそ誤が生まれる。

いま一度、言語の意義を問い直す必要があるのではないか。

この文を眺めていて感ずるのは、結局のところ私自身がまだまだ思うところを言語化できていないのだという事実。
進まない論文。泣きそう。負けてんじゃねー。

発表準備のために、自衛隊についての資料と、ツンデレに関する資料を読んでいます。
正直、パニックです。

アメリカの記者の視点から自衛隊を見た記事について。
自衛隊はカミカゼより「kawaii」と。

イデオロギーに関わる内容は正直扱いづらいです。

ツンデレについて調べるのはかなり楽しいですが、なにぶん学術的な資料があるわけではないので、考察を加えながら自力で解釈していくよりありません。
とりあえず、ツンデレの原点となったキャラがエロゲのものなんですが、それをどうやって伝えるか。

うーん。
自分の研究したい。